そんなわけでこうなりました01-カミングアウト

いつからか、右耳が聞こえないのは当たり前のことになっていた。 右耳が聞こえていない

ことには気付いていた。

 

でも、普通に会話もできるし、困ったこともないし(何に困っていたのかも 分かって

なかったのだろうが)、あえてきこえないことを誰かに言う必要もないと勝手に判断し、

のらりくらり過ごしていた幼少期。

けれども、この「右耳」に少しは、かまってもらいたい気持ちもあったのだろう。

カミングアウトは意外なところで行われる。

小学2年生の頃。2つ下の妹と激しい姉妹げんかになった。

体当たりでぶつかってくる妹と、平和主義であまり手を 出したくない私。

言うまでもなく、私が劣勢になった。でも負けたくない。

 

そんな時、とっさに泣きながら出た一言が

「もう!私、耳が聞こえないんだからね!!!」

同情してほしくて言ったのだと思う。

 

しかし、この発言がグサッときた相手は、妹よりも、そばで姉妹げんかを笑いながら

見ていた両親であった。空気はガラッと変わって、すぐに両親が私のもとに飛んできた。

「え、ウソでしょ!?」 「ううん、ほんと。」

けんかどころではなく、今度は両親の質問攻めにあった。

その時の両親の慌てようといったら今でも忘れられないくらい、 鮮明に覚えている。

自分の子どもが突然、「耳が聞こえない」なんて言い出したら、それは(特に聞こえる)

親にとってはショッキングなことなのだろう。両親はどんな気持ちだったのだろうか。

 

「こっち(左耳)をね、こうやって塞いだら聞こえなくなるもん!」

その時の両親の心情を察することもなく、私は呑気に「聞こえないよー」と説明した。

その後、程なくして病院に連れて行かれ、聴力検査等々を受けた。

この時の聴力レベルは、右が90dB、左が45dB程度。

どうやら、聞こえていると思っていた左耳も実際は軽度難聴であった。

 

ここでようやく難聴の「発覚」である。 こうして、生まれつきなのかどうかも分からないけれど

(遺伝子検査はまだ受けていない)、物心ついた時からこの「聞こえにくさ」と 付き合っている

私の、「難聴児」生活がスタートするのであった。

 

ちなみに、この「発覚」までの話をすると、「よくそれまで気付かれなかったね」と驚かれる

こともある。今は、新生児聴覚スクリーニング 検査(生まれてすぐの赤ちゃんに行う

他覚的聴力検査)も広まっているが、私が生まれた時には、もちろんそのような検査を

受けることはなかった。

 

では、就学時健診や学校で年に1回行われる健康診断の聴力検査はどうだったのか?

こちらは一度に複数人(5人程度)で検査を受け、ヘッドホンから音が聞こえたら

手を挙げるという検査方法だった(この方法自体、驚かれるが)。

そのため、私は音が聞こえない時も、一緒に検査を受けている子達が手を挙げれば、

それにならって手を挙げていたのだ。 これでは気付かれるはずもない。

 

あの時はなんだか「聞こえない」とその場で言うのもバツが悪いような気がして、言い

出せなかった。隠したいわけではなかったのだけど。

こうした経緯を経てたまりにたまった「右耳が聞こえない」ことへのあらゆる気持ちが、

激しい姉妹げんかで爆発してしまったのだろう。そうした意味では、この「爆発」を誘引

してくれた妹の手荒い攻撃に今では感謝もしているが…(笑)

 

とある当事者のプロフィールとある当事者の画像

20代。(おそらく先天性の)両側進行性感音難聴である。 難聴が発覚したのは、

小学校2年生の時。発覚時の聴力は、右耳が90dB,左耳が45dB程度。そこから

徐々に聴力が低下し、2014年時点では、右耳が115 dBスケールアウト、左耳が

90dBである。ろう学校への通学経験はなく、大学を卒業後、医療系職の資格

取得を目指して専門学校へ進学。その後、障害に関わるお仕事をしている。

 

コミュニケーション方法は、補聴器に入る音と話し手の口の動き(読話)を手掛かりに理解する。また、こちらも音声で

言葉を発することは可能。【育ってきた環境の影響もあり、私の周りには聴者がほとんどである。そのため、音声による

コミュニケーションが多い。手話ができる人とは手話でコミュニケーションをとる】

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