そんなわけでこうなりました番外編 – 主体は誰?

前回で小学校時代編が終了し、今回から中学校時代へ突入の予定だったが、ちょっと

一息ついて最近あった出来事をお話しすることにする。

今年のお盆休みの間、私も例外ではなく、のんびりと実家に帰省した。

そして、リフレッシュを終え、再び自分の家に帰るために空港へ向かった時のこと。



私は、飛行機に乗る際は「身体障がい者割引運賃」が適用される。そのため、搭乗

前にカウンターで身体障害者手帳の確認をしなければならないことがある。

この日も手帳の確認と搭乗手続きのためにカウンターへ向かった。

私の場合は対面で、口元が見えていればたいてい相手が何を話しているか理解す

ることができる。ましてや、いつも経験している形式化されたされたやりとりであれば、

多少聞き取れなくても推測や状況判断で何とかなることが多い。

今回のシチュエーションで言うならば、カウンターのスタッフは、まず私の名前を確

認し、何時発何処行きの便に乗るか確認し、手帳の呈示を求めてきて、最後に「何

かお手伝いすることはございませんか?」となんとも答えにくい広がりすぎた質問を

してくる…



という一連の流れで話してくることは想定内。特段、困ることもない。

この日もスタッフの確認事項に合わせて「はい」「はい」と答え、一通りのやりと

りはできていた。しかし、手帳の確認の後、事件は起きる。



そ れ ま で 私 を 見 て 話 し て い た ス タ ッ フ が 、 急 に 私 の 隣 に 立 っ て い た 母 に 向 か

って話し始めたのである。

手帳と、事前登録している障害の状況とを確認すれば、私に聴覚障害があることはす

ぐ分かる。その時点で、筆談を併用してくれる切り替えの早いスタッフもいるし、

分かりやすくはっきり目に話してくれるスタッフもいる。けれども、この時のスタッフ

はなんと、私の隣にいた母に話し始めたのである!(しつこいくらいに言うが)

唖然として、「いやいや、飛行機に乗るのはこっちなんですけど!」と心の中で思い

ながら、スタッフと母のやりとりをとりあえず眺める。

母も不意を打たれたかのか、「あ、はい」「いえ、大丈夫です」なんて答えてしまっている。



本来ならば、母に説明や質問が向かってきた時点で、母が私にスタッフの説明や質

問を伝え、「私が」答えるということ、また、スタッフが私を見て話し続けてくれ

ることが当事者の主体性を尊重する意味では正しいのではないだろうか…と思う私

がいる。

けれど、今回のようなちょっとしたやりとりで、答えも決まっているものであったら、

「まぁ、しょうがないか」と割り切る自分がいることも事実だが…

今回の件に限らず、そして私に限らず、障害当事者の主体性はいつも問題になる。

当事者本人に向かって話すべきことを、支援者や隣にいる人に向かって話し始め

る人は結構多いと、障害の種類に関わらず、耳にする話である。

テレビを見ていると、例えば、外国の俳優さんへのインタビューには、俳優さんの目

を見ながら日本語で質問をしている。そして、俳優さんの後ろで通訳者さんが通訳

をし、俳優さんが答える時も周りの人は俳優さんの顔を見てうんうんと頷き、通

訳された日本語を聞いて、また楽しそうにインタビューを続ける…

根本的には何ら変わりないはずなのに、なんだか「障害」となるだけで分け隔てられ

てしまうことが多い。

もちろん、私たち当事者も、「こうしてもらえればきちんとあなたとコミュニケーション

をとることができます!」という意思表示をしないといけないと思う。相手の人は、ど

う接したら良いか分からず、戸惑うこともあるだろう。だからこそ、こちらからも歩

み寄っていくことが大切だと考えるのだ。

コミュニケーションに不全感を覚えることもたくさんあるし、失敗することもたくさ

んあるけれど、そういうことを経験しないと、「じゃあどうすればもっと楽しく、お互

いがスムーズにコミュニケーションがとれるか?」なんてことは考えられない。

けれど、いつも前向きに考えられるわけではないし、時には悔しくて落ち込むこと

もあって良いと思う。ほどほどに。

と、こうしたことを改めてじっくり考えさせてくれる出来事に遭遇したため、番外編で今回

記すことにした。できるだけ多くの方に考えてもらいたいことだと、私は思っている。



最後に、今回は母を引き合いに出してしまったが、もちろん母は私のこともよく分

かっているし、一番支えてくれる人であることに変わりない。母のためを思って、少

し、フォローを述べて締めることにする。母に感謝!

 

 

とある当事者の画像とある当事者のプロフィール

20代。(おそらく先天性の)両側進行性感音難聴である。 難聴が発覚したのは、

小学校2年生の時。発覚時の聴力は、右耳が90dB,左耳が45dB程度。そこから

徐々に聴力が低下し、2014年時点では、右耳が115 dBスケールアウト、左耳が

90dBである。ろう学校への通学経験はなく、大学を卒業後、医療系職の資格

取得を目指して専門学校へ進学。その後、障害に関わるお仕事をしている。

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