そんなわけでこうなりました07-アイテム(中学校時代その2)

中学1年生の春休み。母と2人で、初めて、関東の病院の耳鼻科へ

受診に行った。そして、問診や聴力検査など一通りのことを受けた後、

私は、お医者さんでもなく、看護師さんでもない、何かの「先生」らしき

人の元へ連れて行かれた。

 

先生は、「言語聴覚士」の先生だった。

聴力検査室のような厚い壁で囲まれたその部屋の中には、大きな

スピーカーや、ぬいぐるみや、小さい椅子とテーブル、そして、

見たことのない機械がたくさん置かれていた。

小さい子ども用のテーブルを挟んで、先生と向かい合って座る。

先生は、ゆっくりはっきりした話し方で、「これから僕の名前を

教えるから、なんて言ったか教えてね」と言って、自己紹介を始めた。

 

「僕の名前は、○ ○ ○ ○」

まず、名字だけ教えてもらった。

私はすぐに「○○○○」と聞き取ったまま返した。

 

すると、今度は、先生が口を手で隠し、

「※”△*∥#■ です。」

と続けた。

 

しかし、私は先生がなんと言ったのか全く分からなかった。

聞き取れた音を手がかりに、自分の頭の中であれこれ推測をしてみた。

 

〔?? ささき? ?? さっき聞き取った名字は間違ってたのかな??……〕

 

何も答えられずに困惑している私を見て、先生はこう言った。

「じゃあ、もう1回教えるよ。」

そして、先生は手で口を隠さず、口の動きを見せながら、続けた。

 

「△ △ △ △ です。」

 

すっと、分かった。「△△△△」とすぐに答えられた。

先生は、にこっと笑って頷いた後、「やっぱり」というような顔をして、

さらに続けた。

 

「じゃあもう一度続けて言うよ。僕の名前は、○○○○△△△△です。」

 

「○○○○△△△△、先生。」と私は返した。

 

先生は、私が口の動きを手がかりに、話を聞いていることを隣で

座って見ていた母に告げた。母は驚いていたのだろうか。

その時の気持ちを聞いたことはないけれど。

 

私からしてみれば、それまでもずっと、話している人の口を

見ようと思って見ていたわけではないし、自分が口の動きを

手がかりにしていたなんて、思いもよらなかった。

だから、先生が、口を手で隠して名前を教えてくれたときも、

何とも思っていなかった。

(今なら絶対、「手をどけて!」と思ってしまうところだが。)

 

聴覚障害がある人達には、話されている内容を理解する

手助けとして、話し手の口の動きを参考にすることが多い、

という半ばこの世界では当たり前のような事実を、私は

中学生になって初めて知ったのである。

自分にも大いに関係することなのに。

 

この事実を知った衝撃は結構大きく(というか、後に

なるほど、この重要性をひしひしと身に染みて感じて

いるのだが)、私にとってはこの先生との出会いを、

人生における一大イベントに並べたいくらいである。

本当にラッキーだった。

 

この出来事があってから、私は自分の難聴を誰かに

話す時には、

「聞こえにくいです」

の他に

「話している人の口の動きも見ているので、口の動きを見せてください」

というような説明が加えられるようになった。

 

自分を知ってもらうためのアイテムが、1個増えたような感覚である。

たかが1個だけれど、私にとっては大きな1個である。

 

そんな大事なものを得られた中学1年生の春休み。

ここから、先生と私の関わりは1年程続いていく。

その中でどんなことがあったかについては、また次回。

 

とある当事者の画像とある当事者のプロフィール

20代。(おそらく先天性の)両側進行性感音難聴である。 難聴が発覚したのは、

小学校2年生の時。発覚時の聴力は、右耳が90dB,左耳が45dB程度。そこから

徐々に聴力が低下し、2014年時点では、右耳が115 dBスケールアウト、左耳が

90dBである。ろう学校への通学経験はなく、大学を卒業後、医療系職の資格

取得を目指して専門学校へ進学。その後、障害に関わるお仕事をしている。

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